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 南アフリカ、リンポポ州。ティンババティと呼ばれる地域の、動物保護区。

 

 流火は、ロンドンからブリティッシュ・エアウェイズで約8時間かけてまずヨハネスブルグに行き、そこから南アフリカ航空の国内線でホードスプルートまで一時間、空を飛んだ。空港に迎えに来てくれた保護区のスタッフ、ウォルフガングの運転するランドローバーで、これからしばらく生活する予定の「シドロ」(「蟻塚」の意)と呼ばれるキャンプまで送り届けられた。風船のように膨らんでいった期待と、それがすぐに萎んでしまったらどうしようという不安を行ったり来たりしながら、とうとう憧れの土地に到着した。土地の光と影に挨拶をする。

 

 流火は、孤児だった。

赤ん坊のとき、東洋の海にぽつんと浮かぶミラ島の奥深い森と、島を囲む海の間で、ひとりぼっちで転がっていた。やがてそれを見つけた島人に拾われ、島の指導者だった八十一歳の翁に預けられて、彼と周辺の人々に育てられた。しかし翁は流火が十才になると、彼女を新しい人生に導くために島から旅立たせる決断をした。まだ幼い彼女の助けになってくれるだろう知人の伝手を、流火に与えて見送った。

 

 翁が与えた知人の伝手は、世界各地にあった。流火はまず、ミラ島からそれほど遠くないと思われた日本へ向かい、そこで二十歳までを過ごした。一方でミラ島は、彼女が旅立った後に突然の火山噴火に見舞われ、容赦なき溶岩に呑み込まれて、丸ごと姿を消したのだった。彼女にとって大いなる叡智の象徴、自分を包む大きな掌のような存在だった翁も、狂ったように共に遊び成長した島の友人たちも、みんな一斉に跡形もなく消えてしまった。

 

 島には「光と影のことば」と呼ばれる共通言語があった。言語というより、この島の人々が生まれながらに身につけている知覚能力のようなものだ。それが世界を認識する一つの尺度だった。読み書きする記号ではなく、学校で学ぶこともない。流火は特に幼少からそれを流暢に操り、歌や踊りの芸術にまで高めたと、たたえられるほどだった。しかし、小さな島でその生まれつきの何かに万能感を抱いたことは、翁に追い出されたひとつの理由だったかもしれない。

 

 流火は孤児として生まれ、十で自立するために島を出ただけでなく、自分を育てた人や環境が丸ごとこの世から姿を消したという混乱を内に抱えていた。彼女はいつも迷子だった。流火は十から二十歳までの十年間を日本で過ごした後、二十一から三十になるまでの次の十年は世界各地を転々とした。

 

 三十になった流火は、今度はティンババティに呼ばれた。ティンババティは地球上で唯一、白いライオンが野生で生息する土地だ。この保護区はその希少なライオンたちの保護に尽力していた。ミラ島にはライオンはいなかったが、光を司る白いたてがみをもった聖獣の霊を祀る踊りがあった。そして「うみら」と呼ばれる、海に棲む獣の伝説があった。本物のライオンを知らなくても、内なる象徴としての獅子に似た生きものは、彼女の心の内に遠い昔から存在していた。「光と影のことば」とライオンの存在に、何か繋がりはあるのだろうか。搔き立てられる好奇心が、彼女の内なる炎に静かに薪をくべていた。