shishiza

 

4_老紳士と蠍とライフル

 

 

通りで人が撃たれた。逃げ惑う人々。野球の観覧席のような、どこかの屋外会場の客席にいる。高い客席から、会場の外で起きている街の騒然とした様子を見渡す。混乱のなかで、この会場にも警察がやってくる。椅子の下に隠れるように言われ、さらには荷物を警察に預けるようにと言われる。預ければこのパニックに乗じてそのまま荷物は返ってこない気がして、躊躇している。するともう一人の警察に、もし荷物がなくなれば、罰として警察官が射殺されるのだ(だから安心しろ)と言われた。ますます不安な気持ちが高まる。そうこうしているうちに、また通りで人が撃たれたと声が聞こえる。

 

 

流火は目を覚ました。夢だった。きっとヨハネスブルグにいたんだ。

 

そのままベッドの上で、ぼんやりと、夢の余韻とまだ消えぬ緊張や不安を感じていた。

夢の中で、自然管理マネージャーのクリスが「ストイックであること」と、「何か」の共通点について哲学を語っていた気がする。それが何だったか思い出せない。

 

ベッドから起き上がり、ノックが聞こえたわけでもなく何気なく部屋のドアを開けると、そこにクリスがライフルを持って立っていた。流火はぽかんとして、寝ぼけた目をこする。初老の皮肉屋。白髪にメガネをかけた痩せぎすの男。

 

「起こしたかな?」とクリス。流火は「ノー、ノット・アット・オール(いや全然)」と応える。「十分か十五分くらい前に呼んだけれど、返事がなかったんだ」と彼は言う。

 

スプリングボックを、すぐ傍の敷地で撃ったという。「君に見てほしかったから呼んだんだ。今から行くかい?」

 

流火は彼について行った。彼女の寝室がある小さな建物の裏に、クリスの車が停めてある。屍はすでにその車の荷台に積まれていた。クリスによれば、今朝方、このスプリングボックが何度も小走りに駆けては体を電気フェンスにぶつけているのを目にした。しばらく様子を見ていたが、明らかに何かの病気が原因であると思われ、可哀想だが撃ち殺すしかないと考えた。他にこの状況の目撃者がいなければ、保護区のスタッフたちはとうとうクリスの気が狂って動物を不必要に撃ったのだとでも誤解しかねない。そこで流火に証人となってほしかったという。しかし彼女は呼んでも起きてこなかった。しかたなく、彼は一人でスプリングボックを撃ち、車に載せたのだ。スプリングボックの両目が白内障になっていたのが原因だったと説明しながら、クリスは屍の白く濁った眼を流火に見せた。流火は少し身をよじり、心のなかで手を合わせる。この子はこれからライオンのおやつとなり、命を全うするのだ。

 

 

流火は、さっきまで、人が通りで撃たれ、街が喧騒に包まれる夢を見ていたことをクリスに伝えた。「きっとこの銃声が聞こえていたのさ」と彼は応えた。

 

 

 

「光と影のことば」を扱う、ミラ島の文化を受け継いでいる流火は、その才を活かすためにこの土地へ招かれている。けれど、ここではそれを自由に表現することが未だ赦されていないかのような、暗い葛藤を抱えていた。

 

そんな日々のなかで、彼女の孤独に寄り添うことのできた存在は、間違いなくクリスだった。彼は保護区におけるブッシュ管轄のファーム・マネージャーとして、豊かな知識と経験に裏付けられたスキルをもっていた。野生の痕跡を読み解く才能は、カラハリ砂漠のブッシュマンたちにもある意味引けをとらない。一方で、自然界の不思議をいわゆる「スピリチュアル」化する風潮や世界観に対しては、徹底して頑固な拒絶反応があった。

 

毎日、彼の任務として早朝と夕方には「ライオン・チェック」が行われる。広い保護区の敷地内で、テレメトリーによってライオンの居場所を見つけ、行動観察をする。ライオンたちはいつもそう簡単に見つかるわけではない。そして旅路の末に彼らを発見することができると、私たちはいつも満ち足りた気持ちになる。そこには先の読めない連続ドラマの一瞬を、ライブで垣間見るような静かな興奮があった。この長丁場のドライブにクリスが出かける時、彼に同行するのは流火の愛すべき日課となった。

 

 

 

二人はライオン・チェックのためのドライブで、お互いをよく知るようになった。

 

「私は、ピープルが嫌いだ。上面ばかりで嘘をつくから」と彼はよく口にする。

でも「私は自分の家族には関心をもっている。彼らはパーソンだからさ」。

 

ピープル(人々)はたくさんのパーソン(人)から成り立っているはずだ。

流火はそう思ったが、何も言わない。クリスにはおそらく、顔のないピープルとしか呼びようのない集団心理の、犠牲になった経験があるのだ。彼の語り口はいつもどこかひねくれていたが、流火はこの保護区にいる他の誰とも異なる性質の、彼特有の細やかな気配りと深い場所に根差した責任感を感じ取っていた。流火はクリスの良き理解者だった。

 

「私が何より大切だと思うのは、ソイルだよ」と彼は言う。

 

「ソイル(土壌)さえ良くすれば、そこに植物や動物が育ち、多様性が生れる。私は、特定の種が滅びていくことにさほどの関心はないね。必要なのは、多様性が保たれていくことだ」

 

人の世間を厭いながら、彼は大地と自然に崇高な信頼を寄せていた。

彼はもともとカトリックだったが、過去に起きた様々な不遇から、もう神を信じるのはやめたという。古びた白いランドローバーの窓ガラス一面に映る、二人を囲むブッシュ全体を指してクリスは言った。

 

「これが私の教会だ」

 

「この年になって、もう名誉も金儲けも求めはしない。だが、自分がこの保護区で働くことで、この土地のソイルをより良いものにしたい。それができれば、私は幸せだ」

 

 

208/6/6 updated