shishiza

 

2_流火

 

 

炎になる、夢をみた。いやそれは実際に、起きたこと。

 

 

I’m honest.  

I eat what I want to eat. 

I have no hesitation to go where I love.  

I know I’m beautiful.  

I don’t need to make effort to attract people.  

They come close to me because I give light to them. 

 

私は正直

食べたいものを食べる 

行きたいところへ、迷いなく行く

自分の美しさなら、知っている

人を惹きつけるための、努力などいらない

人々は、私のところへやってくる

私が光を与えるから 

 

 

流火は焚火を見つめていた。 

 

炎になることの解放、高揚、そして禁忌について考えをめぐらせながら。

思うように生きたいと願いながら、誰もがどこかに何かしらの不自由を感じている。

個人的な不自由に囚われている時に、自分よりも不遇で、自分よりもずっと強い、不屈の存在に出会う。そして心のどこかで自分は、その相手に救いの手を求めている。

 

ゆれる炎の向こう側には、ティンババティの特別な客人が3人並んで座っていた。はるばるカラハリ砂漠からやって来た、ブッシュマンたちだった。

 

「ブッシュマン」という言葉はかつてオランダ人が名づけた蔑称とされていて、今は「サン人」と呼ぶ方が一般的らしい。ここでは彼ら自身も自分たちのことを自然体で「ブッシュマン」と名乗っていたから、流火も親しみをこめてそう呼んだ。この動物保護区には多様な人種が入り混じって住んでいた。その中でも、東洋の顔立ちと小柄な体型の彼女は彼らに特に愛着や珍しさを覚えさせた。流火は「あなたもブッシュマンだ」と言われ、一緒になって家族のように笑った。彼らの母国語はコイサン語。3人のうち2人は夫婦でアフリカーンス語を、1人の男はアフリカーンスに加えて英語も話すことができた。流火は英語だけ、それでもブッシュマンの彼のアクセントは聞き取るのが難しく、彼らと深い会話をするのは難しかった。ただお互いの存在や様子をじっくり見つめ、心を通わせた。

 

 

ブッシュマンのあらゆる踊りの中で、最も偉大な踊りは、火の舞だという。

 

 

流火は炎に、なったことがある。

 

それは、彼女を不自由にする文化の仮面を燃やすためとおもわれた。

十から二十まで過ごした日本の文化。剥ぎ取って捨ててしまおうという欲望を自らに赦すと、彼女の内側に、それを焼き尽くすような力が隠れていたことに気づく。その炎は何にも抑えつけられることなく、踊り、体は、炎の影を表現する。

 

「なぜ生きられない 生きろ」

「ただ生きている それだけのこと」 

「それは赦されないことだ」

「私が私であれば、すべてが失われる」

「もし、炎があるがままで赦されるなら、どうしたい?」

「あなたの顔をもっと照らしたい」

 

どこからともなく聞こえてくる声が千切れては破れては四方八方に散らばっていく。 

流火は焚火をぼうっと見つめたまま、自分はどこからやってきたのかということに想いを馳せていた。

 

昼間にこの保護区の代表リゼルが、人の名前はその人の本質的な意味を表していて重要だと言っていた。流火はその時、まったく同意していなかった。親の勝手な思い入れや思いつきで与えられることの多い人の名前。孤児である彼女は、親に名づけられたとも、翁に名づけられたとも聞いたことがなかった。物心ついたときには、暗闇に生じた言霊のように「流火」と呼ばれていた。

 

 

 

流火は、こわかった。

火の力がすべて解き放たれることで引き起こされる暴力を恐れていた。

この恐怖は、溶岩にすべて呑みこまれたミラ島のイメージと重なり、襲いかかる。

 

彼女が島を去った後、島からすべての命を奪い去ったのは、まさに流れる火の海、火山から溢れ出た溶岩の濁流だった。自分はなぜここにまだ、ふらふらと生きているのだろう。自分は誰なのだろう。内なる声から火の素晴らしさと美しさが語られるとき、彼女の心は翳った。大切な人たちをすべて呑み込み溶かし込んでしまう自然。いま、時折、聞こえてくるライオンの咆哮に、ハイエナの鳴き声が別の方角から重なり、和音を奏でる。

 

獣たちがいる 心の海のなかに

噛みつき 寝ころぶ 邪悪とはちがう

願いがあるとするなら、自分の命を全うしたい

人を殺めてしまうような過ちから、どうかお救いください

野生の源、嘆きの源

 

 

 

 

2018/6/4 updated