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3_ヨハネスの稲光

 

ティンババティに辿り着くため、いつも避けて通れないのはヨハネスブルグを経由することだった。流火は、自分からそこへ足を踏み入れることはないと思っていた。「世界最大の犯罪都市」「男性の4人に1人が女性をレイプしたことがある」「ホテルのベルボーイに宿泊客が部屋でレイプされた」「赤ん坊さえレイプされる」「犯罪は強盗や窃盗で済まず、殺人に至るケースが多い」。それがおよそ街について事前に聞いていたことだ。

 

ところが、ティンババティにいる間、ヨハネスブルグからやって来た訪問客との出会いが幾度かもたらされた。そして流火は案外すぐに彼らと親しくなり、自宅へ招かれることになった。流火は、何となしに背を向けてきた、その扉を開くことになった。

 

この世には明らかな優劣があるという、人間の幻想が創り出した物質的な格差が、ここではさらに明らかに肌で感じられた。この街で、身を縮めながら遠くに眺めた、近づいてくる稲光のことをなぜかずっと忘れなかった。

 

 

 

流火にとって一人目のヨハネス案内人は、ディオンという中年の男だった。ティンババティで世界遺産の日を祝う催事に、彼がビデオグラファーとして居合わせたのが最初の出会いだ。大柄で、無造作に伸びた髪を後ろで束ね、どっしりとした大らかさがあり、誰とでも分け隔てなく接する。アフリカーンスの人懐こい男。流火が長く日本に暮らしていたことを知ると、彼は日本の映画監督・黒沢明をとても尊敬しているのだと熱心に打ち明けた。

 

彼はジョバーグ(ヨハネスブルグの通称)に自家製のお城を構えているという。空港まで、車で流火を迎えにきてくれた。彼の車の後部座席には、ディオンの映像製作の仲間の男性、マイクが座っていた。彼も小太りで人懐こい顔をしている。

 

最初に流火が目を疑ったのは、車のフロントガラスの中央に、大きなヒビが入っていること。さらに助手席の横の窓には、窓ガラスそのものがない。サイドミラーも壊れていて、ガムテープで何とか貼り付けてあった。

 

大急ぎで絆創膏を貼ったようにいかにも応急処置されただけの車。流火は目を丸くしてその大胆さに面白く見入った。

「僕の人生には、修理しなきゃいけないところがたくさんあるんだ。でもそのやることリストが、すぐに頭から消えてしまうんだよ!」と言って、ディオンはワハハと笑う。

「やることを忘れないように、私があちこちにポスト・イットを貼り付けておこう!」と流火が威勢よく言い返す。

 

 

 

3人が最初に向かったのは、タウンシップと呼ばれる黒人居住区だった。粗末な小屋の立ち並ぶ場所に辿り着く。ディオンはここに住む黒人に衣服の繕いをしてもらったり、彼らからドラッグを買ったりするという。流火は窓ガラスのない窓から外を眺めながら、車のなかでディオンが戻るのを待った。

 

それはサファリで、いつも安全な車の中から野生を鑑賞する人間と、車の外の動物たちとの関係性を思い起こさせた。でも、少し違った。サファリでは、動物たちは次々と車でやってくる人間を見慣れていて、観光客である人間の方が好奇心と興奮を剥き出しにしている。ところがここでは、タウンシップの住人たちにとっての流火の方が、明らかに見慣れぬ動物のように思われた。黒人でも白人でもない、新種の小動物。流火は助手席に座ったまま、外から注がれる無垢な視線に上手く見つめ返すこともできず、緊張していた。しかもこの車は、窓ガラスさえなく、安全が保障されている気もしない。

 

 

 

 

ディオンのお城は、タウンシップのすぐ近くにあった。いかにも城というにふさわしい門や塀を構えている。ここは小麦粉をこねて焼いて作ったケーキのように、手作りで愛情込めてこしらえた住居なのだという。タウンシップの黒人たちもそのための労働力だった。ディオンとマイクはテーブルにつくと早速、買って帰ったマリファナを陽気になって紙に巻き始めた。

 

壁には家族の写真がたくさん飾られていた。

ディオンは結婚して子供もいたが、うまくいかず今は別居だという。

「ぼくは女性はもういらないんだ。でも子育てが大好き。子供ができたら、ぼくが世話をするから預けに来てね」と言ってまた笑う。

この城には、音響設備の整ったミュージシャン用のスタジオも併設されている。その日も行われていた新進ロックバンドのレコーディング風景を、3人でコカコーラを飲みながら見学した。爆音をかき鳴らす、獰猛な音世界だった。人間はいつも、獣になりたがっていると流火は思った。

 

屋外にはディオン自慢の、手作りの小さなツリーハウスがあった。大柄の男2人と小柄の流火の3人で上へ昇り、小さな空間にひしめくように何とか座ったものの、くつろごうとするやいなや遠くで何かが光った。警告の唸りもない、稲光だった。小雨も降ってきた。南アフリカの主要な死因といえばエイズ、殺人、事故などのほかにも、毒蛇や雷による死者の数は馬鹿にならないと聞いたことがある。3人は子供のようにはしゃぎ騒ぎながら、雷を恐れて急いでツリーハウスを降りた。

 

 

  

ヨハネスブルグに棲む友達は、陽気だった。

でも、流火にとっては何かが牢獄のように息苦しい。住んでしまえば、そんな感覚はすぐにも麻痺させる術を覚えるのかもしれない。

 

流火は知っていた。

自分の貧しさを。自分の豊かさを。

容赦なく、鋭い稲光に脅されようとも、嘘はつけない。

 

 

2018/6/4 updated